編集長の目

なぜフリーペーパーなのか?→回答

半夏生
AYA-CTO

今日は、暦の上で半夏生。写真は同名の植物です。半分白いので「半化粧」とも書きますが、木綿の浴衣を着た女性が半分現世にあらずというような儚さを感じる「半夏生」のほうが好きです。

さてタイトルですが、『たまきたPAPER』は、地域のお店や施設にご協力いただき、無料で配布する情報誌、フリーペーパーです。

情報媒体は多くが紙からウェブサイトや電子媒体に置き換わり、私自身も新聞は電子版を読んでいます。

ただ、本はどうしても紙で読みます。長年紙で読んでいるからそのほうが読みやすいということもありますが、本は紙であることで、手触りであったり、本に自分の時間を占有させることであったり、財産であったりという情報以外の多くの価値を持つようになるからです。

フリーペーパーは、一般的に本ではなく情報媒体です。本ではなくて情報媒体はWEBでいいと思っている私が、なぜいまだに『たまきたPAPER』を紙で出し続けるのか?ここ数年疑問に思ってきました。

広告として必要としてくださるお客様がいるからというのは基本にあるのですが、それはビジネスとしてはWEBで成立しないこともない。もっと何か、自分で気づいていない、紙でなければならない理由がある気がしていたのです。

それが何なのか、先日図書館に行ってふと頭に浮かびました。

「無料の本の前で、人は平等である」

図書館は、誰でも無料で本が読めます。街で配っているティッシュとか試食とか、街で無料のものはいろいろ手に入ります。

しかし情報や知識というのは生涯、自身をコントロールする頭脳の糧になり、人生を変え得るものです。それが貧しくとも富もうとも、図書館で手に入る。それこそ人間の本質的な平等だと思うのです。

翻って『たまきたPAPER』は、「北多摩のいいもの、大事なこと」というテーマをもって発行しています。どの記事も、広告も、何かしら大事な気づきが生まれるようにと作っています。それが、街に設置してあって誰でも無料で手に入れられる。これは、図書館の平等に近いと思うのですね。

インターネットでも、無料の情報はたくさん手に入ります。でも、スマートフォンを自由に使える人ばかりではありませんし、ネットに溢れる無料の情報の中から人生の糧になる情報を手に入れるということは、誰でもはできません。

きちんと取材し、ご本人に確認し、裏付けを取った紙の読み物。かつ、大事なことが自然と、楽しめる記事から受け取れる情報誌。それを誰でも気軽に持って帰ることができる。これが情報の平等を作り出している。

だからこそスポンサーが共感し、広告として活用してくださって、発行が続けられる。だから、フリーペーパーなのだ。

かくして、『たまきたPAPER』はフリーペーパーで続けていくべきなのだという確信を得たのでした。

フリーペーパーという媒体が情報拡散に良い、というのではなくて、『たまきたPAPER」のようなテーマのものはフリーペーパーが良いということだと思います。

そういうわけで、これからも、フリーペーパー『たまきた』をよろしくお願い申し上げます。

編集長 原田あやめ

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