たまきた移住組

たまきた移住組(1)熊本県からの移住

さて、「たまきた移住組」、記念すべき第1回。今回の筆者・編集長は熊本県出身で、大学進学で上京して多摩地域に住み着きました。

奇しくも先日、地方からの移住者として多摩地域の1市である今住むまちがどんなふうにいいと思うのか、東京都の方にお話しさせていただいたので、そのときのお話をまとめながら書いていきたいと思います。

移住者視点で自己紹介

たまきたPAPERは約7年発行していますのでだいぶ今更ですが、熊本県内での移動→熊本県から東京都・多摩地域への移動→多摩地域内への移動というのが大まかな変遷です。自分ごとながら詳しく見ていきましょう。

熊本県熊本市で出生 

熊本県はくまモン・阿蘇山・スイカ・畳表・天草・球磨川などが有名ですね。自然の雄大さは、ほかに類を見ないものだと思います。先日帰省したときに、友人・弟から「阿蘇山は昔、富士山より大きかったんだ」と聞いて改めて畏敬の念が生まれました。

生家は熊本市の平屋団地で、このときのご近所さんと父母はいまでも交流があります。その団地は数十年前に取り壊され、新しいきれいな高層団地に変貌しました。

熊本県菊池郡菊陽町へ転居(2歳ごろ)

菊陽町は、TSMC(「Taiwan Semiconductor Manufacturing Company」「台湾積体電路製造」)の半導体工場ができるということで最近、全国的に名前を聞くようになった地域です。2024年末をめどに製造開始するというTSMC関連効果で地価も上がってきており、関連事業者も周辺に増えてきています。

もともと工場の多いエリアではありましたが、以前私が通っていた菊陽町の中学校周辺はまったく原野といってもいいような場所で、授業のマラソンで走るときに「のはらのはらの」という園芸屋さんの看板があり、本当に「野原の原野だよと思いながら走っていたよね」とこれまた先日熊本で会った友人と笑い合ったのですが。

ここ十数年でその原野に工場どころかショッピングモールや商業街が建設され、県内一の繁華街・熊本城下の下通・上通に次ぐ賑やかなエリアになり、あまりの発展ぶりに驚くばかりです。

熊本県合志市へ転居(高校入学ごろ)

両親が建て売り住宅を購入し、引っ越しをしました。合志市は東洋経済新報社が1993年から毎年公表している「住みよさランキング」総合21位。子育て編ではなんと1位! 今住んでいる東大和市も合計特殊出生率や「共働き子育てしやすい街」のランキングで上位に入ることがある地域ですので、何か子育てに関する地域的な縁を感じています。

東京都八王子市へ移住(進学のため)

多摩地域にある学校へ通うため、東京に住んでいたことのある親戚が八王子市内のアパートを探してくれて、どんなところに住むのか知らないまま引っ越しました。少しおしゃれなところを想像していましたが、砂壁、畳、ねじこみ式の鍵の窓、外に井戸という苦学生にぴったりなアパートであり若いながらに修行しました。派遣で結婚式場のバイトをしたり、居酒屋カフェ?で遅くまでバイトしては仲間と朝まで飲んだり、大学生らしく過ごしました。長期休みはほとんど実家の熊本県へ帰って過ごしていました。

東京都国立市へ転居・立川市の会社に勤務

立川市の会社に就職して、その寮がある国立市谷保へ転居しました。営業の仕事、仕事で周辺をのんびり散歩することはなかったのですが、ピーコックに買い物に行ったこと、すぐそばに古本屋さんがあったことは覚えています。国立市は、今のほうがいろいろ散策していますが大好きなまちです。

西東京市を現場として仕事

住んではいませんが、立川市の会社では求人広告の営業マンとして「北多摩版」を発行するため広告枠を販売していました。市域としては主に東久留米市・西東京市・清瀬市で、私は当時の田無市と保谷市の一部を担当し、車や徒歩で新規開拓をしていました。

東京都立川市へ転居・渋谷区の会社に入社・国分寺市の会社に出向

立川市の会社を退職して、渋谷区鶯谷のIT系の会社に就職し、国分寺市の、一橋学園駅の近くの会社で仕事をしていました。国分寺駅の周辺で、会社の人たちとよく飲んでいました。一橋学園駅は、やはり今のほうがよく散策しています。ここも面白いお店がたくさんあるエリアですよね。

西東京市を現場として仕事

住んではいませんが、立川市の会社では求人広告の営業マンとして「北多摩版」を発行するため広告枠を販売していました。市域としては主に東久留米市西東京市清瀬市で、私は当時の田無市と保谷市の一部を担当し、車や徒歩で新規開拓をしていました。今、「北多摩のたまきたPAPER」を発行しているのはこのときの経験でなじみがあったこともあるのだな、と改めて思います。

東京都東大和市に転居

やはり地方出身者の夫(愛媛県)の夫が住んでいた東大和市が、のんびりしていて便利で気に入っていたので、結婚と同時に東大和市の賃貸物件に引っ越しました。このときのアパートにアトリエがある看板屋さんには、子どもが生まれたばかりのときから何かと気に掛けていただいて親切にしていただいたのですが、ここから引っ越したあとも市主催の観光会議などで一緒になったり、ことあるごとにお会いする機会があって仲良くしていただいています。

東京都東大和市内の別の地区に転居

現在の住まいです。やっぱりなんだかんだ言って東大和市で暮らすことが定着しており、子どもが大きくなるのに合わせて市内の新居に引っ越しました。事務所も東大和市内につくってしまいました。

(だからといってこのまちばかりひいきするつもりはなく、情報誌としては北多摩全域に目を向けているのですが、「事業所のある地域を盛り上げる」という視点はどこであっても大事だと思いますので、私個人としては東大和市のことはまた別に語ってまいりたいと思います)

東大和市のことは、今度移住関連で登壇する機会があってお話ししてきますので、そこでのお話をまたまとめてご紹介します。

というわけで、移住者としての来し方でした。次回は、「ふるさととの現在の関係」についてお話しします。

 

編集長 原田あやめ

 

たまきた移住組 東京は国内外、さまざまな地域から移住してくる人が多いエリア。多摩でもさまざまな地方出身者の方が暮らしています。 たまきたのスタッフも...

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です