ねこまん散歩&あやめ日報

技術なき思いは寝言である

SNSでのやり取りで教えてもらった、二宮尊徳の言葉が好きです。

「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」

こんな風に表現したいと思うことがありました。

最近思いに偏りすぎていると、いつだかの日報で書いたのですが。なぜ思いに偏るのだろう、と考えたのです。冒頭の写真の風景が見える切り株に座って。

書く仕事をしている時は、体調が悪くても、どんなに嫌なことがあっても、楽しいものが書けますし、仕事でしか書かないことが明確です。思いに引きずられることがない。

しかし、そうでないものは何かボランティア的に手を出してしまい、お金が発生していないこともあり「大事にしていたのに」「心を込めたのに」とビジネスライクに考えられなくなっている。

私はフリーランスでライターを始めて12年、書くことを専門にやってきて、これはしっかり修行しているのです。表記をかなり徹底的に覚えた時期もありますし、校正も半年間学びました。

一方、撮影やDTP、デザインというのは、執筆から派生して、(好きではあるものの)やらざるを得ずにやり始めたところがある。執筆に対して修行が足りないのです。したい表現に必要な技術だけを持って来てやっている。そこに鍛錬とか学びといったものがないから、プロフェッショナルになりきれず、思い、それから来る感覚でなんとかしている。だから思いに引きずられる。ビジネスとしてあるまじきことを言っている時がある。みっともないことです。

仕事において、思いは技術に勝てない。技術があってこそ、思いがプロとして生かせる。執筆ではない部分で、これが欠けていたのではないか。

基本的にライターであるのですがDTPやデザインのことも、最終私がなんとかしなければならないことが多いので、やはりこれも仕事としてしっかり学んで技術を身につけなければ、思いに負ける。いくら思いがあっても、何年もの学びと修行には勝てない。

ということで、最低限自分がやらなければならないことで使うソフトなどのツールについてテキストを一から読むなどしています。

付け焼き刃はもろくて切れない。二宮尊徳のような立派な言い回しが出てこないので、ひとまずタイトルのように言っておきます。ちゃんと名言的に整えたい、思いついたら言います…誰が思いついたら教えてください。

原田あやめ

関連記事

コメントは利用できません。

ねこまん教訓カード

Facebookページ

ページ上部へ戻る