編集長あやめ日報&旧たまきたWEB記事

「ママでないもの」になろうとしていた(1)

昨日、たまきたのスタッフをしてみたいという方がオフィスに来てくださいました。

小さいお子さんがいるママさんで、お互いに子育てなどなどのお話もたくさんしました。

その中で、「最近、たまきたがママたちの活動を取り上げてくれていると喜んでいる人が周りにいます」と言っていただきました。

そんな反応が知らないところで起こっていることが、もちろんうれしかったのですが、一方でそれを聞いてふと思いました。

「これまで、たまきたはママ寄りではなかったから、取り上げてくれたと喜ばれているのではないか。私はあえて、たまきたがママっぽくなることを避けてきたのかもしれない」。

 

そういう節は、確かにあります。

 

以前、「社会的包摂起業」として取材を受ける という日報を書きました。「社会的包摂起業」とは、女性やシニアなどの「社会的弱者」が国などの支援を受けて起業することを言います。私は、この話があったときに少し傷ついたのです。

 

「私は弱者なのか?」と。

 

この日報の冒頭部分でも、少しそんな気持ちをにじませた書き方をしていますね。取材してくださった方、話をしてくださった方に、なんらネガティブな思いを持っているわけではありません。取り上げていただけるのは嬉しかったし、何ならOECDの会議で私のことはどう発表されたんだろうと会議の様子を思い浮かべることもあります。

弱者というのは、先方のカテゴリとかルールの中でそう言うことになっているだけで、私のことを「弱くてかわいそうだ」と思っているわけではないでしょう。

ただ、そこでいろいろと思い出したのですね。赤ちゃんを抱えて歩く私を、弱者と判断した人たちから言われた心ない言葉とか、ママが担当する仕事だから安いです、と低価格をうたう登録会社の文言とか。

子どもを長時間一人で面倒を見ている時の、社会から切り離されたような気持ちとか、自分は何の役にも立っていないんじゃないかという無力感とか。

とにかく「ママ」という言葉から、自己肯定感を下げることばかり連想してしまっていた。だから私は「ママではないもの」になろうとしていたし、「ママっぽいもの」を作りたがらなかったのだと思うのです。

 

原田あやめ

(続く)

 

 

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