編集長あやめ日報&旧たまきたWEB記事

いいものを、いいままに伝えるには想像力がいる

久しぶりの日報です。写真は本文と関係ないですが通勤中のコスモスがきれいだったのでちょっと長い文章の箸休めにでも。雨が降って昨日より6℃も気温が低いとのこと。娘がかぜをひいてしまって、のどが痛そう。心配です。

 

いったん、日報をシーズン1完結!という形で終わらせましたので、今日からシーズン2。1を終わらせるに当たっては、私が制作に全力を傾けなければならない状況で日報よりも緊急にそっちだったのです。今暇になったわけではありませんが、書き起こしておきたいことができたときは、しっかり書いておこうという気になり、また書き出しました。SNSでなんとなく言うでもなく、世間話でもなく、ちゃんと考えて書いて残していくべきだという「思うところ」があるときに、アップすることにします。

ここのところ、『新潮45』の休刊があったり貴乃花親方の年寄引退があったりしたのですが、読む人聴く人の立場を想像しきれなかったから伝えることべきことが伝わらなかったせいではないかと思いました。

新潮のことで言えば、差別的な考え方は批判されても仕方ないのですが「他の考え方もある」ということは言い方、言う場所によっては主張してはいけないこともない。それどころか、うまくLGBTに関する前向きな議論を呼び起こせる可能性だってあるのです。きっと編集した人は盲目になっていて、自分が言いたいことを、言いたいように書いて(または書かせて)しまったのだと思います。編集者は俯瞰して見るのも大事な仕事なので、盲目になるということはとても危険です。あれだけの雑誌の人ならそんなことは誰に言われなくても分かっていると思うのですが、世論や読み手の立場の想像をしきれていなかった。想像していたとしても販売部数低迷を打開するために、危ういと分かっていて賭けをしたのか。それにしても、休刊に至るほどになるとは、やはり「想像できていなかった」のだと思います。

貴乃花親方の考えでいえば、封建的体制、既得権力の支配というような、それそのものは批判されるべきものかもしれません。だから貴乃花親方の考えを支持する人もいたかと思います。協会にはどんな言い方をしても通用しなかったかもしれませんが、親方の言い方、態度、主張の仕方によっては、世論を大きな味方にできたかもしれない。親方の表現の仕方が、誰からも近寄りがたい、受け入れがたいものになっているのではないかと思うのです。

批判を浴びても、休刊しても、引退しても、その言論に「悪以外には何もなかった」わけではない。考え方が悪だったとしても、それは悪い方向にしか展開できないわけではない。読者に、視聴者に、伝えたいことをどうすれば「心よく」受け取ってもらえるのか。それは読者の立場を想像することによって分かってきます。

自分自身、編集者として想像していることが100%合っているわけではないと思いますが、読者がどう受け取るかということは、かなりの時間をかけて考えます。「自分は偏りすぎた考えをしていないか?」考えても考えても、締め切りギリギリまで想像しきれないときもあります。

そのとき考えるのは、「“自分が”相手の立場だったらどう受け取るか」ではありません。「“相手が”相手の立場だったらどう受け取るか」。だから想像なのです。

一対一でも相手の気持ちを完全に分かることはできません。100人中100人に意図した通りに受け取ってもらうこともできないと思います。でも、大人であれば、生きてきた経験や知識で、学生なら、主婦なら、女性なら、男性なら、シニアなら、既婚者なら、独身なら、こういう性格の人なら、こういう環境の人なら、こういう立場の時にはこういう危機感を覚える、こういう受け取り方をする、と、ある程度の分類の人ごとに、おぼろげには想像ができると思うのです。

私はそれが得意なわけではないので、編集する時には時間をかけて読者の立場を想像します。「読み手が、こういう立場の人だったなら」。

発信するターゲットが明確ならば、より想像しやすいです。それはプロに限らず、個人発信の時代にみなさんが想像すると、より良いことだと思います。それは日常生活でも生きると思うのです。

雑誌だろうとフリーペーパーだろうとブログだろうと、誰かにいいと思うことを伝えたいのなら、言いたいことを言いたいように言っていないか、読み手がいいと思ってくれるか、想像して発信することこそ、プラスになると思います。先日のフリーペーパー講座でも私は何度かそれを皆さんにお話ししました。そして、それが反映された情報誌ができてきたことは、私にとって本当に大きな成果であり、少し地域をよい方向に押すことができたと確信できたことでした。

せっかく発信する力があり、発信すべきよいものを持っている人たちが、受取手のことを想像しないばかりに誤解を受けたり、人を遠ざけてしまう場面を見ると、私は悔しいのです。「相手が相手の立場だったら」を、私ももっと、素早く想像しきれるようになりたいと思います。

原田あやめ

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