編集長あやめ日報&旧たまきたWEB記事

「幸せ」とだけ聞こえてきた

たまきた編集部は徒歩1分のところに大きなスーパーが二つあって、その中のフードコートやレストランなどで昼食を摂ることが多い。

先日天気がよかったので編集部の向かいのスーパーにあるフードコートの、桜街道が見える窓際の席でお昼を食べていた。
隣では3人の女性が中国語でわいわいおしゃべりしながらランチをしていた。

ふいに「幸せ」と日本語のイントネーションではっきり聞こえた。中国語は分からないので、前後の文脈がまったく分からない。けど確かに「幸せ」とはっきり言っていた。私が高校生くらいのときに、母が言った「自分を幸せにできない人は人を幸せにできない」との名言を思い出した。

同時に「誰かを幸せにしたい」と思ったことはあっても、「誰かに幸せにしてほしい」と思ったことがないなと考えた。

プロポーズの常套句(じょうとうく)に「君を幸せにするよ」があるけれども、それを聞くたびに「それは自分でやりますよ」と思っている(自分が言われたことはない・笑)。

私が周りにわがままだと言われるのはこの辺に原因があるのかもしれない。まず自分で自分を幸せにするために自分のやりたいことを叶えようとしていて、それにより周囲も幸せにするという順番を基本にしているので、自分優先と映って当然だ。

そういえば子どもがまだ母乳やミルク、離乳食のときに、私は自分がまず先に食事をしてから子どもに食べさせていて「なんて自分本位な母親だ」と結構あきれられていた。でも自分がお腹いっぱいになってから食べさせたほうが、子どもがちゃんと食べなくても散らかしても怒ることがなかったし、子どものせいでお腹がすいているのにご飯が食べられない、とか思うこともなかった。

「あなたを幸せにするために自分が犠牲になっていますよ」という悲壮感は相手に幸福感を与えないと思う。そうしてもらっても私はうれしくない。

なので「まず自分が幸せになる」は、やっぱり正しいし、わがままじゃないんじゃないかな。

原田あやめ

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